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いしずえ500号を迎えて

                              2007年3月   教会委員長 永島洋三

 高円寺教会報の「いしずえ」が500号を迎えました。歴代の関係者に心より感謝致します。年間10回の発行で50年かかりますが、創刊号が1953(昭和28)年ですから54年かかりました。高円寺教会は創立1928(昭和3)年ですので、教会は78年の歴史を有します。調べてみますと教会創立直後や大戦前後に不定期的に月報が出ています。残念ながら残っていません。今、現存する1号から500号まで目を通し、私の独断で気になる記事をピックアップしてみました。これは時系列的に教会の歴史をたどったものではありません。ご了承下さい。                             

1号 1953(昭28)年11月1日

 創刊号は1953(昭和28)年11月に、ガリ版印刷でB5版10ぺージで「教会報」の名称で発行された。巻頭言は野口由松主任神父の「煉獄について」。11月の死者の月にちなんで書いたものと思われる。「諸会だより」として、壮年会、青年会、ビアンネ会(中高生)、土曜学校(信者の児童)、日曜学校(地域の児童)、聖歌隊、ビンセンシオ会、JOC、レジオマリェの活動グループが紹介されている。編集後記に「月久しく休刊中の教会報の復刊にあたり」と記してあるので、これ以前にも出されていたと思われる。

9号 1954(昭29)年12月25日

 「ギュスターブ・マイエ神父(フランス人司祭で高円寺教会の初代主任司祭)の憶い出」が記載されている。『私は1928(昭和3)年1月15日に高円寺教会に着任した。その頃、今の光塩女子学院のある所にサンモール会の童貞様(シスター)仏人2人、日本人2人で孤児院を経営していた。1927年にチャペルが建ち、イエズス会の神父が来ていた。その聖堂が高円寺教会の始まりで、私はそこの主任司祭をまかされたのです。当時の信者は約150人。その後どうしても大きな聖堂が必要となり、地下聖堂(今のマイエ・ホール)を1931(昭和6)年に完成させた。工費は1万7900円。 1ドル2円の時代。これだけのお金を工面するのは困難だったが、私自身が1万円出し、あとの1万円は借金した。当時の信者は毎月50銭の寄付をしてくれた』と。

13号 1955(昭30)年8月21日

 当時の教会会計が報告されている。収入支出とも年間112万円強の時代。

17号 1960(昭35)年6月26日

 5月に主任司祭の野口由松神父がローマで司教・広島教区長に叙階され、帰国後、初の堅信式を高円寺教会で行い、126人が受堅した。野口神父は1941年より19年間、高円寺教会の主任司祭としてお働きになり、その間あの太平洋戦争の最中は軍部の強力なキリスト教弾圧にたえて信者と教会を守られた。また戦後は戦災で焼失した教会焼跡の整備をし、1949年に現在の聖堂を建てられた。

18号 1960(昭35)年8月15日

 4年かけて行われた聖ビアンネ100年祭の記念事業で、司祭館(現在のもの)の建設(工費357万円)等が行われた。

29号 1961(昭36)年7月30日

 1960年度の高円寺教会教勢報告が発表され、信者数2757人、年間受洗者数101人となっている。

76号 1965(昭40)年8月1日

 主任司祭の相馬信夫神父は地区会を組織し発足させた。その地区会のビジョンとして、/瓦里弔覆りのある家庭的な集いであること。⊃仰と愛に基づく熱いを自覚すること。信者全体の横のつながりとして教会の団結の基礎となること。ぜ洗、転入による新加入信徒を温かく迎え入れること。ノ擔佑縫リストを伝える使徒的活動を行うこと。などを発表された。

113号 1968(昭43)年7月1日

 6月2日に信者大会が開かれ、「私たちの教会は社会に対し何をなすべきか」をテーマに、参加者121人が5グループに分かれ話し合った。この形式の信者大会は数年続けられた。

115号 1968(昭43)年9月8日

 地下室(マイエ神父が作り、大戦までは聖堂だったが、戦災で一部破壊された)を改装し、ホールと小部屋を作った。8月4日、白柳誠一大司教により祝別が行われ、「マイエ・ホール」と命名された。工事費は1176万円。1年前から1000万円を目標に募金が行われた。このホールは夏は涼しかったので、夏休みには近所の子ども達に解放され、「夏休みマイエ・ホール」が開かれた。

127号 1969(昭44)年8月2日

 7月10日、ギュスターブ・マイエ神父(79歳)がご帰天。12日に高円寺教会で葬儀ミサが行われ、カトリック府中墓地に埋葬された。7月13日には、主任司祭の相馬信夫神父が司教・名古屋教区長に教皇パウロ6世より任命された。

169号 1973(昭48)年7月8日

 高円寺教会出身の岡田武夫神学生(現東京大司教)が、当教会聖堂で浜尾文郎司教より助祭に叙階された。同助祭は11月3日に司祭に叙階された。6月17日、信者大会を中止し、箱根にバスハイクに行く。115人が参加。箱根強羅教会でミサを捧げ、芦ノ湖で遊ぶ。

177号 1974(昭49)年5月19日

 高円寺教会と日赤の共催で、JR高円寺駅北口広場で献血運動を行い、128人の方が献血された。

220号 1978(昭53)年12月24日

 11月26日に、教会創立50周年記念ミサと50周年記念として作られた信徒会館「みのり館」の落成記念式典が、白柳誠一大司教、杉田稔前主任、井手雄太郎新主任の両神父らによって行われた。みのり館の建設費3800万円、付帯工事費360万円、このほか大聖堂へのスロープの設置、50周年記念誌の発行、祝賀会費用等で総額4800万円が支出された。これに対し1976年から始めた募金で3000万円が集り、教会会計積立金より1800万円が支出された。

227号 1979(昭54)年7月22日

 この号より「教会報」が「いしずえ」と改名された。

232号 1979(昭54)年12月23日

 教会庭にルルドが完成した。12月9日に除幕式が行われ、最大の功労者の野田つやさんをはじめ約150人の信徒が出席し、井手雄太郎神父により除幕、祝別と祈りが捧げられた。

240号 1980(昭55)年10月26日

 レクリエーション大会が10月5日、150人の信徒が参加して東京神学院グラウンドで行われた。野外ミサを行い、そのあと綱引き等のスポーツに汗を流した。この行事は数年続けられた。

244号 1981(昭56)年3月22日

 教皇ヨハネ・パウロ2世が2月23日より4日問来日された。24日の後楽園球場での教皇ミサは、寒風の中4万人の信徒で埋まり、当教会からも大勢の信徒が参加し感激の喜びを味わった。

273号 1984(昭59)年2月26日

 聖堂内の「十字架の道行」の油彩画が完成した。横山薫次画伯が1年半かけて構想をねり完成させた。

274号 1984(昭59)年3月25日

 府中墓地の高円寺教会共同墓地に墓碑が建立された。この墓地は、ビンセンシオ会が取得し、長い間管理してきたが、数年前に同会により教会に引き継がれた。今回、白御影石で帰天者を刻む墓碑を建てた。なお4年後の1988年に再度、墓地を整理し収納能カを拡大し、共同墓地使用規定が作られた。

285号 1985(昭60)年5月25日

 主任司祭として着任した寺西英夫神父は、いしずえの巻頭言に、「神のことばには力がある」を寄稿した。『神のことばには力がある。その力をくみとるために司祭達は全カで奉仕する。しかしその力を受けて生活の場で具体的に展開していくのは皆さんの役割である…』と。

301号 1986(昭61)年12月24日

 12月の教会委員会で、いしずえを全世帯に配布することを決め、名簿のチェックや教会に来られない信徒への地区委員による配布がはじまった。

304号 1987(昭62)年4月25日

 祭壇正面に木彫りの大きな十字架が備えつけられた(現在のもの)。この十字架は1986年夏、寺西神父らがフィリピン訪問の際に求め、はるばるバギオから運んできたもの。

310号 1987(昭62)年11月21日

 聖堂を飾る8枚のステンドグラスが、久永真也氏の制作により完成した。祭壇に向かって左側(庭側)は、2枚目からマリア様が主役で、2枚目「マリアのお告げ」(受胎告知)、3枚目「マリアのエリザベト訪問」、4枚目「イエスの誕生」。右側(学校側)はイエス様が主役で、2枚目「カナでの婚礼−最初のしるし」、3枚目「イエスの死」、4枚目「聖霊降臨」となっている。費用は350万円。

341号 1990年(平2)年12月23日

 宣教推進委員会が誕生し、社会にむけてキリストのメッセージを伝えていこうと活動をはじめた。11月30日にセシオン杉並で磯村尚徳氏(NHK)の講演とクリスマスキャロルの夕べを開き、地域の人々で満員の盛況だった。この活動は毎年続けられた。

362号 1993(平5)年2月28日

 2月に開かれた信徒総会で、今年の教会活動スローガンを「キリストの家族をめざして」と決め、総会では200人の出席信徒を8グループに分け、「家庭」について分かち合いの場をもった。

367号 1993(平5)年7月22日

 教会バザーの収益金164万円の中から、地域の3カ所の障がい者施設に27万円ずつ寄贈した。これは現在も続けている。

381号 1994(平6)年12月24日

 「新聖堂を考える会」が発足した。現聖堂を修理しつつ維持管理していくのか、あるいは早急に建て替えるのか等の検討をはじめた。

437号 2000(平12)年11月26日

 10月に大聖年特別巡礼を行い、岩崎尚神父と55名の信徒が東京カテドラル、高輪、田園調布の各教会を巡礼した。

468号 2003(平15)年12月24日

 11月に教会案内所兼教会用品販売店の「天使の森」がオープンした。

472号 2004(平16)年5月1日

 4月10日の復活徹夜祭ミサで、晴佐久昌英主任神父のご尽力により84名が受洗した。以降毎年100名前後の受洗者が誕生するようになった。

473号 2004(平16)年6月1日

 5月9日に岡田武夫大司教をお迎えして、高円寺教会創立75周年記念ミサと祝賀会を開いた。また世界的オルガニストで当教会の信徒の児玉麻里さんが、75周年記念として購入したオルガンの奉献演奏を行った。

480号 2005(平17)年3月1日

 全信徒に14の地区会のいずれかに加入するよう呼びかけを行い、実施した。これに合わせ、聖堂の掃除を全信徒が行うことを決め、14の地区会とメルセス会が毎週交代で行うことになった。

483号 2005(平17)年6月1日

 5月8日、東京カテドラルで、岡田武夫大司教より高円寺教会出身の小池亮太、豊島治両助祭がそろって司祭に叙階された。5月15日、高円寺教会で2人の新司祭により初ミサが挙げられた。

499号 2007(平19)年2月1日

 晴佐久昌英主任神父は「いしずえ」で、「神のプロポーズ」と題し、洗礼について熱い思いを次のように語られた。『復活祭の洗礼式に向けての準備が始まった。二月は求道者と司祭との面接シーズンでもある。面接の時、それまでの試練や苦悩を打ち明ける人も多く、福音に出会っていかに救われたかと涙で語る人も少なくない。決心してなお自信を持てない人もいるし、許可してもらおうと必死に信仰を表明する人もいる。まさに百人いれば百通りなのだが、ただひとつ共通しているのは、確かにそこに聖霊が働いているという事実だ。誠実にその語を聴いた上で、どうしても授洗は無理だと判断したことは一度もない』と。今春も100人近い方が受洗される。晴佐久神父の寝食を忘れての努力が実る。

                                      (「いしずえ 第500記念号」より)

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